未熟児で生まれたけど無事社会人やってます

29年前、1452gで生まれた私。 人並みにいろいろありました。 それでもなんとか生きています。 今なにかに苦しんでいる方の 心の支えになれると嬉しいです。

男の子っぽい子

 

1452gの未熟児で生まれたわたし。

 

 

 

物心ついた頃から

少し男の子っぽい子どもだった。

 

 

家で兄と一緒に遊ぶことが

多かったからかもしれないが、

男の子が遊ぶような遊び

(野球やミニ四駆など)

が好きだった。

 

 

小学校に上がると

男の子と鬼ごっこをしたり

ドッヂボールをしたりして

遊ぶことが多かった。

 

それでも女の子とも遊ぶこともあり、

当時流行っていたシール集めや

香り付きペン集めをしたり

モーニング娘。の話をしたりと、

割とみんなと仲良く遊べる子どもだった。

 

 

 

 

 

小学校5年生になり

担任の先生が変わった時に、

母が先生と二者面談をしたことがある。

 

そのとき先生が母に

「いじめられていないか?」

と尋ねたそうだ。

 

どうやらわたしが

男の子とばかり遊ぶので

女の子の中で

いじめられているのではないかと

心配してくれたらしい。

 

当時は「なにを大げさな」

と思っていたが、

今考えると小さなことも気にしてくれる

良い先生だったのだと思う。

 

 

 

 

 

そんな小学生時代を送っていたわたしは

高学年の頃には

外見もすっかり

男の子のようになっていた。

髪は短くして

近所の私立小を卒業した子から

譲り受けた黒いランドセルを背負って

男の子に間違えられることもあった。

 

だんだん女の子らしい服装も嫌いになり

女子の話題にもついていけなくなった。

 

そのうち女の子らしくと

言われるのが嫌になり

男の子になりたい

とまで思うようになった。

多少のやんちゃをする

まわりの男の子たちが

うらやましかった。

 

ただ、わたしは今では

自分の性別に何の疑問もなく

生活している。

いわゆるLGBTには

該当していないと思っている。

 

 

 

おそらく、当時は10代前半で

発達段階でいうアイデンティティ

確立していたのだろう。

そしてそれに葛藤があったのだ。

わたしの場合、

女性としての体の成長の中で

性別を受け入れるのに

時間がかかったのだと思う。

 

 

 

 

男の子なのに女の子っぽい、

女の子なのに男の子っぽい、

そんなお子さんをお持ちの方は

今不安に思っているかもしれないが、

 

それはその子の嗜好や性格だと思って

ひとまず見守っていてほしい。

好きなことは人それぞれ違う

ということをわかってもらえると

いいなと思っています。

 

 

 

 

 

 

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子どもの頃の学習方法

 

未熟児で生まれ

体力的には問題なく成長したわたし。

 

学校の勉強は

割とできる方だった。

 

 

 

 

今振り返ってみると

おそらく一人遊びが好きだったことが

影響しているのかもしれない。

 

4学年上の兄が読んでいた

本や教材などを

一人でじっくり読むのが好きな

少し変わった子どもだった。

 

 

 

 

 

 

一般的な子ども向けの図鑑も好きで

特に宇宙や昆虫、植物などに

くわしい子どもだった。

 

あとは自分からよく

ことわざ辞典を読んでいた記憶もある。

 

それから

レインボーことば絵じてん

というのも大好きで

よく読んでいた。

 

 

これはとてもオススメなので紹介。

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%B0%E7%B5%B5%E3%81%98%E3%81%A6%E3%82%93-%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%90%91%E8%BE%9E%E5%85%B8%E3%83%BB%E4%BA%8B%E5%85%B8/dp/4053001285

 

 

 

さまざまな言葉が

ジャンル別に絵とともに載っていて

英語も一緒に覚えられる。

わたしは飽きもせず

何度も何度もボロボロになるまで

この本を読んでいた。

 

そんな風に割と自ら

勉強とは思わずに様々なことを

学習する子どもだった。

 

 

 

 

 

そんなこともあって、気づけば

クラスの中では3本の指に入るほどの

秀才になっていた。

 

 

 

 

そんな自らの経験を経て

子どもの好奇心や学習意欲は

大切にしたいと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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おばあちゃん パート2

 

おばあちゃんの話の続き。

 

 

前回の話はこちら

https://konatsu1452.hatenadiary.com/entry/2019/05/04/200735

 

 

 

 

わたしが生まれる10日前に

亡くなった母方の祖母は

母曰くわたしの守護霊になり

度々わたしを救ってくれた。

 

一度、母が昼寝をしていて

わたしがその隣で1人で遊んでいると

母が勢いよく起き

わたしの名前を大声で呼んだことがあった。

 

どうやら母はその昼寝中

祖母の夢を見たのだそうだ。

そして決まって祖母が夢に出てきたときは

発熱や怪我など

わたしの身に何か起きているらしい。

 

 

そして物心がついてから

わたし自身、祖母に守られているな

と感じる出来事がいくつかあった。

 

 

 

 

 

 

それは5歳の頃。

わたしは家で兄と一緒に

ドライアイスで遊んでいた。

科学が好きだった兄が

瓶にドライアイスを入れて遊んでいたのを

一緒に見ていたのだ。

 

そして夕飯どきになり

兄が食卓に行ったのをいいことに

そのドライアイスが入った瓶を

1人でじっと見ていたのだ。

 

今となってはこのときに

兄と一緒に食卓に行っていれば

と思うが、当時子どもだったわたしは

親の言うことをすぐには聞かなかった。

 

そしてしばらくした後、

ドライアイスで 中の空気が膨張し

瓶が爆発した。

 

わたしと瓶との距離は

30㎝もなかったと思う。

 

わたしは大泣きした。

音が大きかったし

ガラス瓶の破片は飛び散っているし

とても驚いてしまったのだ。

 

だがしかし、

そんな大惨事だったにもかかわらず

わたしの怪我は右手首の数針縫うだけで

済んだのだ。

 

今でも3㎝程の傷跡が残っているが

失明をしたり

顔に傷が残っても

おかしくなかった状況を考えると

その程度で済んだのは奇跡だと思う。

 

これはきっと

天国の祖母が守ってくれたのだ

と今でも思う。

 

 

 

 

その後もわたしは

祖母に感謝するとともに、

何か大きな出来事があると

天国の祖母に守ってくれるよう

お願いするようにしている。

 

おかげで今まで

それなりの困難はありながらも

人生や命に関わるようなことはなく

平々凡々な生活を

送ることができている。

 

 

 

 

おばあちゃんありがとう。

そしてこれからも

よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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敏感な子(HSC)

 

未熟児で生まれたものの、

身体的には健康に育ったわたし。

 

 

ただ、他の子より少しだけ

敏感な子どもだった。

 

 

 

 

例えば、

 

タイツを履くと痒くなってしまう。

母はアトピーと疑ったが

検査結果は異常はなかった。

それでもわたしが嫌がるので

タイツを履くことはあまりなかった。

(母は女の子なので

 可愛い格好をさせたかったようだ)

 

 

 

それから、時々

部屋の電気を眩しく感じてしまう。

それまで普通に過ごしていても

なぜか急に眩しく感じて

「まぶしい!電気消して!」

と母に訴えることもあった。

しかし、それも目には異常はなかった。

 

 

 

 

 

他の子よりも少しだけ

敏感な子どもだったのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな子どものことを

今ではHSC

(Highly Sensitive Children)

というらしい。

人一倍敏感な子

という意味で、

おそらくわたしの幼少期だった

90年代前半に

生まれた言葉である。

 

HSCの子どもは

まわりの子に比べると

大人びていていわゆる「いい子」だったり

五感が鋭かったり

物事に対して慎重だったりする。

これは生まれ持った性格で

病気ではなく

5人に1人くらいの割合でいるそうだ。

 

わたしは典型的なHSCだった。

 

といっても

それで幼少期に多少嫌な思いをしたことはあっても

特別苦労したわけではなかった。

 

 

まわりより少しだけ

慎重で引っ込み思案で

良い子だっただけ。

 

ただ、大人になった今

HSCという言葉を知って

少し気持ちがスッとしたような

ところはある。

 

自分は人と少し違うな

と思うことはよくあったから。

 

大人になってからのことはまた

追って書いていくが、

 

HSCだったことに関しては

特別問題にはならず

その後もまわりと同じペースで

成長していけたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

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骨折

 

5歳のとき

一度だけ骨折したことがある。

 

 

 

 

わたしが住んでいた家の周辺は

同年代の子どもが多く住んでいて、

近所の子どもが自然と集まって

一緒に遊ぶことが多かった。

 

その中でわたしは1番年下で

1番年上の子は10歳くらいで、

だいたいいつも10人くらいで

ごっこやかくれんぼをしていた。

 

 

 

 

その日もみんなで

かくれんぼをしていた。

 

記憶は断片的だが、

わたしは確か

だれかの後を追って

階段を上ろうとしたときに

前に転んでしまった。

そして運悪く

手をついたのがちょうど

階段側面だった。

転んだ勢いもあり

右手首が一瞬、90°以上に

曲がってしまったのだ。

 

 

 

 

だが不思議と

泣きわめくことはなく、

「手がいたい」

とすぐに他の子達に伝え、

外から家のベランダに向かって

お母さんを呼び、

そのまま病院に行ったのだった。

 

 

 

しばらくギプスで過ごし、

すぐに治ったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

当時のことはあまり覚えていないが、

母からの話を聞くと

わたしはどうやら昔から

痛みに強い子どもだったようだ。

 

 

 

 

そのときの骨折は

転倒した場所が悪かっただけで

骨には異常はなかった。

後遺症は全くなく

その後はスポーツもするくらいに

回復したのだった。

 

 

痩せっぽっち

 

わたしの体が小さいのは

生まれたときだけで、

物心がついた頃には

平均的な大きさになっていた。

 

幼稚園に入園したときも

背の順は真ん中のあたりで、

ごく標準的な身長だった。

 

 

 

 

ただ、体重は

あまり増えない子どもだった。

 

食事はしっかり食べるし

おやつも大好きだったにも

かかわらず、

肥満度はいつも

マイナス10前後だった。

 

 

 

 

 

 

それでも大きな病気はしないし

風邪もめったにひかない

外でよく遊ぶ

とても健康的な子どもだった。

 

 

 

 

 

 

ちなみに

痩せていたのは小学校高学年までで、

中学生になってからは

思春期特有のぽっちゃり型に

無事変貌をとげました。笑

 

ひとみしり

 

子どもには人見知りの時期がある。

 

わたしは特に人見知りのひどい子どもだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしの母は

子どもが小さいうちは

家にいて子育てに専念する

といった考えを持った、

いわゆる専業主婦だった。

 

そんな母は児童館などでの

サークル活動に積極的で

わたしをいろんなとことに

連れ出してくれていた。

 

例えば、幼児サークル。

同年代の子と親が参加し、

一緒にレクリエーションをするところ。

他にも、母の趣味だった手芸サークルや

産後太りを気にした母が興味を持った

親子エアロビクスなども。

わたしと同い年くらいの子どもも

親に連れられて一緒に来ていて、

部屋の隅のスペースで子ども同士

一緒に遊んだり、

一緒にエアロビを踊ったりしていた。

 

そんな中わたしだけは

他の子達に馴染めず

1人でじっと遊んでいた。

 

大人に話しかけられても

会話することもできず、

母の姿が見えなくなると

泣くこともあった。

 

 

 

そんな中、事件がおきた。

それは幼稚園の入園試験のときのこと。

 

わたしは2年保育の枠で

4歳のときに試験を受けた。

試験内容は

親から離れ、

同年代の子ども(他の試験参加者)と

過ごすことができるか。

いわば協調性があるかを見る

試験だった。

 

わたしは普段母から離れることがあまりなかったため

不安になってしまい、

わんわん泣いて過ごした。

 

そして試験の最後。

園長先生から1人ずつに

絵本のプレゼントを手渡しされる、

という時間があった。

 

そのときわたしは、あろうことか

「こんなのいらない!」

と泣きながら渡された絵本を

園長先生に投げつけたのだった。

 

我ながら問題児だったと思う。

 

母はそのとき、

もうこの幼稚園には入れない

と悟ったそうだ。

 

それでもどうしてか、

入園試験を合格し、

私立幼稚園に入ることができた。

 

 

入園後もしばらくは

母がいないと言って泣きわめいたり、

友達と遊ばず先生にくっついて回ったりと

手のかかる子どもだったのは言うまでもない。

 

それでも幼稚園卒園頃には

人並みに協調性のある子どもに

なっていた。