未熟児で生まれたけど無事社会人やってます

29年前、1452gで生まれた私。 人並みにいろいろありました。 それでもなんとか生きています。 今なにかに苦しんでいる方の 心の支えになれると嬉しいです。

男の子っぽい子

1452gの未熟児で生まれたわたし。 物心ついた頃から 少し男の子っぽい子どもだった。 家で兄と一緒に遊ぶことが 多かったからかもしれないが、 男の子が遊ぶような遊び (野球やミニ四駆など) が好きだった。 小学校に上がると 男の子と鬼ごっこをした…

子どもの頃の学習方法

未熟児で生まれ 体力的には問題なく成長したわたし。 学校の勉強は 割とできる方だった。 今振り返ってみると おそらく一人遊びが好きだったことが 影響しているのかもしれない。 4学年上の兄が読んでいた 本や教材などを 一人でじっくり読むのが好きな 少…

おばあちゃん パート2

おばあちゃんの話の続き。 前回の話はこちら https://konatsu1452.hatenadiary.com/entry/2019/05/04/200735 わたしが生まれる10日前に 亡くなった母方の祖母は 母曰くわたしの守護霊になり 度々わたしを救ってくれた。 一度、母が昼寝をしていて わたしが…

敏感な子(HSC)

未熟児で生まれたものの、 身体的には健康に育ったわたし。 ただ、他の子より少しだけ 敏感な子どもだった。 例えば、 タイツを履くと痒くなってしまう。 母はアトピーと疑ったが 検査結果は異常はなかった。 それでもわたしが嫌がるので タイツを履くことは…

骨折

5歳のとき 一度だけ骨折したことがある。 わたしが住んでいた家の周辺は 同年代の子どもが多く住んでいて、 近所の子どもが自然と集まって 一緒に遊ぶことが多かった。 その中でわたしは1番年下で 1番年上の子は10歳くらいで、 だいたいいつも10人く…

痩せっぽっち

わたしの体が小さいのは 生まれたときだけで、 物心がついた頃には 平均的な大きさになっていた。 幼稚園に入園したときも 背の順は真ん中のあたりで、 ごく標準的な身長だった。 ただ、体重は あまり増えない子どもだった。 食事はしっかり食べるし おやつ…

ひとみしり

子どもには人見知りの時期がある。 わたしは特に人見知りのひどい子どもだった。 わたしの母は 子どもが小さいうちは 家にいて子育てに専念する といった考えを持った、 いわゆる専業主婦だった。 そんな母は児童館などでの サークル活動に積極的で わたしを…

はしか・水ぼうそう

生後52日でようやく退院したわたし。 その後1ヶ月ごとに検診を受けていた。 首が座る、おすわりをする、 はいはい等は 平均よりやや遅れていたが、 特に大きな問題はなく すくすくと育っていった。 ただ、病気を立て続けに したことがあったそうだ。 1歳…

退院

守護霊である祖母や 両親に名付けられた名前のおかげで わたしは生後の3日間を無事に過ごし 4日目を迎えることができた。 ただ、それでもまだ小さかったので 相変わらず保育器生活は続いた。 ちなみにわたしは予定日前とはいえ 38週で生まれたため 早産…

名前

出産前に性別を知り 事前に子どもに命名することが主流の 今とは違い、 当時の29年前は 出産後に性別を知る人が 多かった。 両親も例にならって 出産後に性別を知り、 私の名前を考えたそうだ。 ちなみに父は田舎の長男のため、 私の兄は「長男の長男」と…

おばあちゃん

母方の祖母が亡くなったのは 私が生まれる10日前だった。 母の実家は長崎の離島で 当時住んでいた東京から 臨月の母が向かうのことは とてもできず。 葬儀には父と3歳の兄のみ 出席したそうだ。 母は、自分の親の葬儀に 出られなかったことや 孫の私の顔…

生まれた日

わたしが生まれるのは 8月下旬。 の予定だった。 しかし母の陣痛がきたのは 8月13日、 お盆真っ只中の 夕食どきだったそうだ。 順調であれば 近所の産婦人科で出産予定だったのだが、 その日はお盆で休診日だったそうで、 母は陣痛の痛みに耐えながら、 …

はじめに

ときどき 生きていることが 苦しくなる 何のために生きているのだろう どうして生まれたのだろう そして これから先 何を目指して生き続けるのだろう そんなとき、ふと 両親のことを思い出し、 申し訳ない気持ちになる 両親は私が生まれたとき 喜びとともに …