未熟児で生まれたけど無事社会人やってます

29年前、1452gで生まれた私。 人並みにいろいろありました。 それでもなんとか生きています。 今なにかに苦しんでいる方の 心の支えになれると嬉しいです。

ひとみしり

 

子どもには人見知りの時期がある。

 

わたしは特に人見知りのひどい子どもだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしの母は

子どもが小さいうちは

家にいて子育てに専念する

といった考えを持った、

いわゆる専業主婦だった。

 

そんな母は児童館などでの

サークル活動に積極的で

わたしをいろんなとことに

連れ出してくれていた。

 

例えば、幼児サークル。

同年代の子と親が参加し、

一緒にレクリエーションをするところ。

他にも、母の趣味だった手芸サークルや

産後太りを気にした母が興味を持った

親子エアロビクスなども。

わたしと同い年くらいの子どもも

親に連れられて一緒に来ていて、

部屋の隅のスペースで子ども同士

一緒に遊んだり、

一緒にエアロビを踊ったりしていた。

 

そんな中わたしだけは

他の子達に馴染めず

1人でじっと遊んでいた。

 

大人に話しかけられても

会話することもできず、

母の姿が見えなくなると

泣くこともあった。

 

 

 

そんな中、事件がおきた。

それは幼稚園の入園試験のときのこと。

 

わたしは2年保育の枠で

4歳のときに試験を受けた。

試験内容は

親から離れ、

同年代の子ども(他の試験参加者)と

過ごすことができるか。

いわば協調性があるかを見る

試験だった。

 

わたしは普段母から離れることがあまりなかったため

不安になってしまい、

わんわん泣いて過ごした。

 

そして試験の最後。

園長先生から1人ずつに

絵本のプレゼントを手渡しされる、

という時間があった。

 

そのときわたしは、あろうことか

「こんなのいらない!」

と泣きながら渡された絵本を

園長先生に投げつけたのだった。

 

我ながら問題児だったと思う。

 

母はそのとき、

もうこの幼稚園には入れない

と悟ったそうだ。

 

それでもどうしてか、

入園試験を合格し、

私立幼稚園に入ることができた。

 

 

入園後もしばらくは

母がいないと言って泣きわめいたり、

友達と遊ばず先生にくっついて回ったりと

手のかかる子どもだったのは言うまでもない。

 

それでも幼稚園卒園頃には

人並みに協調性のある子どもに

なっていた。